タピオカパンの受験日記

高三の受験日記

なぜ僕は落ちこぼれたのか? #高校2

こんにちは、タピオカパンです。

また前回のつづきを話していきます。

前回はこちら→https://tapiocapan0310.hatenablog.com/entry/2022/01/31/000000?_ga=2.57213866.1289409718.1643175141-760447963.1642812921


それから高校の授業が始まりました。

県内でのあらゆる中学校のトップ層が集う進学校なだけあってやはりその授業の早いこと…。


数学が特に大変で、2年の終わりまでに一通り数Ⅲまで終わらすためになんでしょうが、予想以上の速さでした。先生の間違いを躊躇なく指摘する子たちを横目に僕には訳が分からないことも多々あり、、


数学では赤チャートや難関大学向けの問題集を配られ、毎週の宿題の量も多かったです。自分は毎日コツコツやっているつもりでも提出に間に合わないほどで、最初は何とか出していたでしょうが段々出せなくなり、それらが溜まっていき、いつの間にか出さなくなってしまいました。

授業にもついていけなくなっていったので、勿論テストの点数は毎回ボロボロ。赤点を回避したことは1回ほどしかありませんでした


追試も今となれば慣れてしまい、対策もお手の物に笑

宿題は出さないし、テストも出来ないから夏休みも冬休みも毎回補習の常連客です。


 難関大学に入るためのレベルに合わせて進んでいるので、出来る子は難なくできる。普通の子や出来ない人も持ち前の精神力とプライドでなんとかついていく、つまり前も言った自分で何とかしろスタイルです。


そして進学校のキーワードは脳筋です。

勉強でもイベントでも、多少無理を言われてもそれを当たり前にやってのけるのが進学校に集まる人達。

それは素晴らしいことだと思いますが、やはり僕には合っていなかった様で、過ごしているだけで体力的にも精神的にも辛いものがありました。

他の高校でも同じ部分はあるかもしれませんが、進学校はそれでも特に体育会系だと思います。

なんと言っても先生は授業以外ほとんど介入しないので、出来ない生徒に目を配るなんてこともありません。

僕自身そんな、ある意味で脳筋な雰囲気を承知で来ているわけではありませんでしたので、絶望している時も少なくありませんでした、、


それまで勉強スタイルを確立していなかったのも悪かったでしょう。予習復習は生活に組み込まれていませんでしたし、勉強嫌いなのもあって勉強時間もそんなに取れませんでした。


考えればわかることでしょうが勉強嫌いは進学校入ってはいけない、もしくは一大決心して入るべきなのだと思いました。そして周りができるのが当たり前な環境だから受かった喜びもつかの間、当然自分は天才なんかではないし、勉強面では努力してなんとか届くレベルだから、実際自分なんて大したことないんだと清々と現実を突きつけられました。

自己肯定してくれるものは手元に何も残らなかった。

皆になんとか付いていくぞ!という様なプライドも精神力も僕は持ち合わせていませんでしたし、数弱な自分は最初から進学校のペースには合わせることなんて無理だったのだと心の中で嘲笑しました。


このまま学校に行ってるだけでは駄目だとは感じていましたので、一年生の夏休み中や二年生の間も色んな塾の説明会や体験授業に行ったりしました。


個別指導塾や集団塾、映像授業塾や企業や個人の通信塾、参考書を勧めて自習させるスタイルの塾、個人経営の塾、etc…沢山行きました。


けれど大学受験というものについて僕はその当時はピンと来ておらず、なぜ今から毎日身を粉にして、こんな沢山の苦役の勉強を続けていかなくてはならないのか、想像できませんでした。大学受験が遠い存在に見えたのでしょう。

勿論、進学校の子達との意識のギャップも大きすぎました。なぜ、この人たちはこんなに勉強することができるんだ?仮に大学受験のためだとして、なぜ早くから大学受験の必要性を感じれているんだ?受けてきた教育や意識がそもそも違うのか?

まるで初めて都会に来た田舎の少年のように、僕にはその受験や勉強の世界観がよく分かりませんでした。


そして高校受験とは違って、大学受験のための授業、映像、市販の参考書などを見ていると、大学受験は無機質で過酷で孤独な長い旅路のように感じました。

勿論そのための勉強の必要性はあるのでしょうが、集中力のなくて怠惰な僕にはとても出来そうもないとその時感じてしまいました。

そして最終的にはどの塾も辞めてしまうのでした、、



勉強もできずに、友達も出来ずに、この学校の世界観になじめないまま、一体僕には何が出来るのだろう…

どうすれば現状を打開出来るのだろう…

色々と分からない日々でした。

虚無、あるいは辛い気持ちでした



つづく

なぜ僕は落ちこぼれたのか? #高校

こんにちは、タピオカパンです。
前回の続きです。

言い忘れていましたが、高校の入試には面接もあります。ほとんどの人の評価はB判定だそうでよっぽどのことがない限り、合否には関係ないと言われています。大体普通の内容のことしか聞かれなかった気がします。

そして今の高校へ入学した後の話をしていきます。

僕の通っていた中学校からは自分も含め、10人程度その高校へ行きました。けど親しい人はほとんどいませんでした。その中でも2人が同じクラスになりました。
1人は低身長で可愛らしい陽キャな人で、もう1人は大人らしい高身長の人でした。


入学してその次の日に早速、春課題テストがありました。

僕は第一志望校に受かった余韻に浸って、それからの勉強を頑張るモチベーションをすっかりなくしていました。
大学受験などと言うものはその時は考えもしておらず、これからの夢の高校ライフに胸を馳せていたのでした。
完全に燃え尽き症候群だったのか、高校合格を機にそれまでの集団塾も辞めました。


そして春休み中は米国に旅行に行っていたり、春課題の宿題はサボっていたりで、そのまま春課題テストの日を迎えたので結果はそれはぼろぼろだったでしょう。

それでも、僕はなんとも思わなかったと思います。
周りの子はもちろん出来ていたでしょうが、僕はやる気がないものはとことんやりたくない我儘な性格で、サボって出来ないのも仕方ないと思ってしまったのです。(今もその兆候はあります…汗)



そして入学式の後のHRから大体友達を作る雰囲気になるのですが、恒例の自己紹介をする時に周りの眼鏡率の多さや、ギャグセンの高い人、または何かしらで秀でている人、個性的な人が多いことに驚きました。

今まで友達がいるのが当たり前だったので、高校でも今まで通り何となく1人くらいは作れるだろうと甘く考えていました。
しかし、なかなか出来ませんでした…
最初は僕も友達を作る努力しました。
今までは心優しい人がいたおかげで何とかなっていたんでしょうね。
先日幼なじみに会った際に感謝しました笑

進学校に来ているだけあってみんなプライドは高い。しかも当然の事ながら自分のことは自分でなんとかするというスタンス、そして実力主義休み時間も男女問わず活発ですし、とてもアメリカンですね。
なので自分から何とかしなければなりません。
そんな雰囲気は僕に取っては新鮮でした。


しかし僕は前にも書いた通り、今までの人生でも人見知りが激しく、所謂陰キャ気質で人に対して警戒感が強い上に共感能力が低い。

周りはどんどん馴染んでいく中で、僕には気軽に話せる人がいませんでした。流石に一人も気軽に話せる人がいないのはまずいと焦り、人への話しかけ方やどう振る舞えばいいのかなどを試行錯誤したりしました。
どういう声の調子で、どういうテンションで、どういう表情で人と接すればいいのか分かりませんでした。

あれ、友達ってどうやって作るんだっけ?
そもそも友達ってなんだっけ?
友達の前で自分はどんな振る舞いをしてたっけ?

今まで考えも及ばなかったことを考え始めました。
自分がどんな人なのか分からないのは誰しも同じかもしれませんが、少なくともコミュ力がある人の真似をして明るく諂って(言い方は悪いですが汗)自分でないものを演じるのはとても不快で疲れて長続きしませんでした。

普通でいいよ、と言われても、強いて言うなら興味の差が激しく、大体テンションが低いので好かれるタイプにはなれないと思います。


最初は自分を気遣って昼休みに一緒に昼食を食べるよう誘ってくれた二人組もいましたが、中々緊張が解れず、仲良さ気な二人の空気を壊してしまうという申し訳なさがあり、だんだん一人で食べるようになりました。

周りは何不自由なく打ち解けている雰囲気と自分を比べ寂しくなり、自分が友達が出来ないのはただ単に自分の対人スキルが低いだけなのか、進学校の雰囲気がより一層そうさせているのか、もしくはその両方なのか分かりませんでした。ですが、どっちみち孤独ということには変わらない。

高校に入ってからは人間関係の概念が変わりました。
ある意味大人になったと言うべきか。
今までは気軽に話せたり趣味を共有できる関係が当たり前でしたが、今では必要な時にだけ一緒にいる関係が当たり前になりました。
ビジネスライクな関係ですね。少し寂しい。

勿論学生らしくいつもベッタリ仲が良い人は沢山いますが、少なくとも僕はそういう関係しか築けませんでした。

でも1人より2人がやはり心強いという思いはいつもありました。
でも僕は自分を偽ってまで友達は作りたくない。
家族にも言われましたがそれは甘えかも、大人になれないだけなのかもしれない。それがしたくないと思う自分は駄目な奴かもしれない、、

かと言って急にはどうしようもないから別に一人でもいいや、と吹っ切れている節もあり、そんなこんなで1人での行動が当たり前になり、強固な陰キャライフが完成していきました。勿論葛藤は抱えたまま。

今までも確かに学校に行くという行為は気の良いものではありませんが、友達がいたからそこまで辛いことはありませんでした。
でも高校に入ってからは学校に行くという行為に対して無の感情、あるいは後ろ向きの気持ちになっていきました

つづく

内申をあげること=社会訓練に繋がる??

こんにちは、タピオカパンです。

今回は決して高い訳ではありませんが内申点をを9割ほど取っていた僕が

 

中学校の内申を取るコツをお教えします。

(あくまでも僕の意見です)

中学だけでなく高校や社会に出てからも役立つと思います。

 

内申を取るために重要なことは、ズバリ、

 

先生から気に入られることです

※勿論テストの点数は頑張ってくださいね

 

内申を取るために努力をすることに、一見

何の意味があるのか分かりません。

 

なぜ先生に気に入られなきゃいけないのか!

実力でものを言わせるのが本来のやり方だ!

そもそも内申はそんな姑息なシステムではない!

 

と反論するのも分かります。

まず内申というのは定期テストなどや授業態度、宿題などを考慮して

総合的に出すものです。

その付け方や基準は学校の方針や先生ごとに変わりますので

一概に今から言うことが当てはまる訳ではありません。

 

内申を取るために努力するというのは、いい学校へ行くために必要なのは勿論ですが、

僕は処世術を身につけるためにも効果的だと思います。

 

というのも、社会に出てからは仕事や人間関係で理不尽なことが

沢山ありますが、悲しいかな運命の分けれ目となるのは、

いかに気に入られているか、などの人脈が大切なことが

多いと思うからです。

プログラマーやSEなどの個人でする職業は分かりませんが

会社の中で対面で集団の中行う仕事の場合は人脈の大切さは

無関係とは言えないはずです。

いかに気に入られるか、は言い換えるなら

いかに意欲があるように思われるか、とも言えます。

 

例えば

成績はいいけど授業態度が悪く、勉強への意欲が見えないAさんと

成績は普通だけど授業態度が良く勉強への意欲が旺盛なBさん。

或いは成績が同じ場合、授業への意欲が旺盛な方が

一応、授業やその学問への情熱がある先生への印象は

少なからず変わってくると思いませんか?

そして内申点にも少なからず響くと思います。

(勿論テストの点数は高いに越したことはありません)

 

先生へ気に入られる、胡麻をする、と言うとなんだか嫌な響きになりますが

僕は人に意欲があるよう見られるように努力するのは

立派な一種の処世術だと思います。

 

実力も大切、だけど人柄や意欲で勝負するやり方も大ありだと思います。

それをいち早く経験できるのが内申をあげるという一種の社会訓練なのです。

 

もしかしたら最初は授業態度をよく見せようとしてやっていたのに

自然と本当に先生の話や勉強が楽しくなってくるかもしれません。

人間は感情が最初にあって行動をすると考えられがちですが

逆に行動を変えることで感情、意識が変わってくるとも言われています。

 

↓内申をあげるための項目は以下です。

  • 定期テストでいい点を取る(これが一番難しいかもですが)
  • 提出物はなるべく早く出す。出来れば一番になる勢い(?)

  • 書く宿題などは欄などに目一杯書く。(綺麗な字で)

     

  • 授業中は勿論寝ない

  • 教科委員でなくても先生の手伝いを積極的にする(体育の片付けや準備など)
  • 授業に遅れない(上の兄弟の担任から聞いた話によると、体育の時間、早く運動場へ出ているとやる気があると思われるそうです)
  • 学級委員などの勉強以外の活動にも積極的に参加する。

     

    (授業以外での活動欄?などに書くことができる)
  • 話をまとめるのが得意な人などはクラスや班をまとめる役割をしてみる
  • 授業中は積極的に手を挙げて意見を言う

     

  • 積極的に先生に質問に行く

中には簡単にできることもあると思いますし、仕事などでも生かせることがあります。

僕自身上記のことを中学時代に完璧にできていたかと言われると

そんなことは無いと思います笑

しかし、言えることはその瞬間を自分の精一杯で

過ごしていたと言うことです。

もう一回いいますが、意欲があるように思われるというのは

邪道ではなく、立派な処世術です。

 

他にも音楽の授業では指揮者に立候補して指揮をした経験もあります。

ピアノが得意な方はピアノの伴奏に立候補するのも良さそうです。

つまり、自分の得意な分野や、してみたい挑戦に向かって一歩踏み出して

立候補してみよう、ということです。そうすれば例え失敗しても

その姿勢は少なからずは先生に評価されるはずです。

 

俺、私は胡麻なんてすらない!!媚びなんて売らない!!

というならそれはそれで全然いいと思います。

考え方や生きるための戦略は人それぞれですが、

少なくとも日本にありがちな、目立ちたくない!友達と一緒がいい!

という理由で何もやらない、行動しないのは勿体ない気もします。

社会に出てからハングリー精神は大切ですからね。

 

今回は一見姑息に見える内申をあげるという行為が

社会訓練になるかもしれないというお話をお伝えしました。

 

 

 

何故僕は落ちこぼれたのか #高校入試

前回からのつづき

そして今の高校に合格できた時の嬉しさはとても大きいものでした。

知り合いが受かってたよーとネタバレをしてきたのでそこは少し残念でしたが、自分が受かったことに学校の先生からも驚かれました。

家族のいる車へ、ウカッタ!と早く言いたい衝動を抑えながら駆けて行きました。

家族は最初僕が泣いていたので落ちたのだと思ったそうです笑


公立高校の受験は内申と当日のテストの点数を考慮したうえで判定をしますが、そこの高校は内申はあまり考慮はしないと言われていました。(あからさまに低い場合は分かりませんが)


僕の内申は受験する人で見たら比較的高くないのですが9割ほど取っていてそこまで低いわけではありませんでした。

内申を取るコツはまた別の記事で書きます。



当日のテストは数学が易化していたこともあり、

数学8割、英語9割、国語、理科、社会7割をとることができ、合計で8割取れました。

受験直前に祖母が亡くなったのですが、易化してくれたのは祖母のお陰だと思い、感謝しました


今の高校は県内で1、2位を争う位の比較的進学校

毎年東大や京大に10人以上は普通に行く所でしたので、そもそも集まってくる層が段違いでした。


附属中学からの勉強エリート集団が大量にいたり、各中学校のトップ層が一同に集結するわけですから…


そこから僕の地獄Life(?)が始まります。

何故僕は落ちこぼれたのか? #小•中学生

こんにちは、タピオカパンです。

 

今回は僕の学生時代の過去を綴っていきたいと思います

進学校の高校で落ちこぼれるに至った経緯、今までどんな人生を歩んでいたのか

そしてその背景を見ていこうと思います。

勉強の仕方や自分の性格を合わせて見ていきたいと思います。

 

 

はじめに言いますが、そもそも僕は勉強がそんなに好きではなかったし、言うまでなくもともとできる方では無いです。

 

小学校は市立の普通の所に通っていました。

小学校の時はthe普通又はそれ以下位の成績で、性格は家では騒いでたりしても外へ行くとしゅんっと大人しくなる奴でした。所謂人見知りで、そして絵を描くのが好きでした。

 

運動もできる方じゃ無く、周りから劣るところも多かったし物静かだから周りから見てもパッとしない子だったんだろうと思います。

 

算数などの理系科目は苦手意識がありました。九九は普通に覚えましたが、公式を応用したり文章から読み解いて時間内に解くのは苦手だったのかもしれません。

小5かそのくらいから集団塾へ入り、中学受験もしましたが、塾に行っても勉強は好きでは無いし、最後までやる気が出なかったので普通に落ちました。

そもそも予習復習の習慣がなかったし、やりたくなかったのでそりゃ勉強もできるようになりませんね。

 

友達は多くなかったですが仲違いしていた訳でもないので、クラスではただ影の薄いやつでした。休み時間にすることといえば元気に運動場へ!なんてことはなく、絵を描いたり友達と喋る事くらいだったかと思います。絵は市の開催するコンクールに出ていいとこまで入賞してトロフィーをもらえたり、学校で表彰してくれたのが嬉しかったのを記憶しています。絵を描いていると自分の世界に入れるので好きでしたね。


集団の中では所謂陰キャの部類に入る方ですが、僕自身あまり親しく無い人との必要以上の馴れ合いは求めてないし、自分はそういう性格以外には根本的にはなれないと思っているので、そういうものだと割り切ってしまっています。

 

今、改めて中学受験の問題を見ましたが、やはりほとんど文章題で、自分で考えさせたり、日常の事象に日頃から疑問をもって追求する人材が求められていると感じます。

好奇心が向くのが限定的で真面目な勉強が嫌いな僕には当時から解くのは少し難しい気もします。

 

中学受験に落ちたので今までの小学校から大勢の子が行く普通の中学校へ行きました。

中学の頃は前から続いて同じ集団塾に通い、授業の予習を早くからやったり、特に英語などは毎週授業の内容のテストをしてくれるのでそれが良かったのか勉強はそこまで苦労はしませんでした。

 

でもやはりその中でも数学や理科などの理系科目などの文章題は多少苦手意識がありましたね。

数学だと図形問題や、その流れで面積体積求める問題、確率、成り立つことの証明などは特に、理科も文章から濃度や公転する回数を求めたり…

問題を見るだけで、「あ、嫌だ」と拒絶反応を起こします。多分、論理的に自分で考えることに不慣れで面倒に感じてしまうからだと思います。

面倒なことはとことんしたくない性格がずっとありましたね。


それと比べて逆に国語や英語、社会などの暗記はそこまで苦でなかったと思います。

英語の成績は5段階中、常に5で毎回テストも満点近く或いは満点でしたし、文章を書くのが好きなので宿題の文章は市の文集にも載りました。

 

高校入試直前期は別の個別塾で一人で缶詰になって追い込んでいましたが、頑張ればなんとか今の高校に入れるな、という自負はありましたので最後まで頑張れました。

そして楽々とまではいかないものの無事に今通う偏差値70位の高校に合格することができました。

 

中学でも友達は多い方ではありませんでしたが、小学校から同じ友達や親友と呼べるくらい優しくて面白い奴もいて、毎日楽しく学校に行けました。

なので孤独感に苛まれることもありませんでした。

 

つづく

 

 

 

高校生活もあと1日

こんにちは。初めまして、タピオカパンと申します(現段階 )

今日からとある平凡な高校三年生のブログを書いていこうと思います。

高校生と言ってもあと1日しか登校日は無いのですが汗

 

軽く僕の自己紹介をしていきたいと思います。

僕は地方の偏差値70位の進学校に通う高校三年生です。東大や京大にも毎年10人以上は普通に行く地方の中では割と進学校の高校に通っています。

高校三年生と言えば受験ですよね。今月共通テストも終えました。

 

 

でも僕はそこの高校の落ちこぼれでした。

今まで勉強もサボってきたのでもちろん成績もふるいません。

ぶっちゃけた話、僕は今から浪人する気満々です。

 

 

基礎学力がないのはもちろん、理系なのに理系教科が全くダメ

(古文漢文もダメだけど)

難関大学はもちろん、marchですら怪しい。

 

 

でも、受験を諦めたかといえばそうではありません。

 

 

僕は浪人を前提にこれから1年間また受験勉強をしていこうと思い、

その状況整理や戒めのためにこれからブログを書いていこうと思います。

 

 

興味がある方は是非優しく見守っていただきたいです。

 

 

次回は僕の今までの高校生活、落ちこぼれた背景を

話していきたいと思います。